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「ぼくらの」が面白い

負けました<森田宏幸のブログ> ※「ぼくらの」原作至上主義の方、アニメ版に不満のある方、製作者の本音を聞いて幻滅してしまうような方は見ない方が精神衛生上良いと思いますのでご注意を。

アニメ版「ぼくらの」監督である森田宏幸氏が自分のブログにて「ぼくらの」に関して色々語っているのだがこの記事では「原作が嫌い」と告白してしまってコメント欄がすごいことになってます。よく言えば真摯に、悪く言えば馬鹿正直に口を滑らせたこの発言ですが個人的には「この人面白いな」と思いました。
まず、そもそも現在放送中のアニメの主要スタッフが殆どタイムラグ無くその作品について深い所も含め語ってしまうという事自体史上初なんじゃないか?現在進行形の物語の裏側を見てしまう事は場合によっては作品を見る楽しさを損なう危険性も有りますが視聴者の推測ではなくダイレクトに監督の意図が見えるのもなかなか面白い。

■例えばEDのクレジットひとつでも
エンディングの最初に出るのはゴンゾ作品では普通、脚本、絵コンテ、演出だそうです。~中略~そうしたことを知っていながら僕は敢えてぼくらので、最初にキャストの名前を出すことにしました。主人公の15人の子供たちのキャストです。なぜって、15人のキャストがズラーッと揃うのは、1話と2話だけ。ひとりずつ死んでいく展開を考えると、この15人揃ってる瞬間の重みというものは、何ものにも代え難いものなんじゃないかと思って。<「ぼくらの」OP、EDによせて>
これは素直に感心しました。たった2回しか使わないEDクレジットをある意味演出として使うというか、そこに何か意味を付加しようという行為を今までに誰かやった事が有るのだろうか。「だから何?」って言われたらそれまでなんだけど面白いなぁ。OPのウシロ走りの原画について2日議論したエピソードも微笑ましい。

■今回の件について騒いでる人達の多くはちゃんと文を読んでいない。まず何故わざわざファンの神経を逆撫でするような「嫌い」と言う発言をしたかについて、今までちょこちょこと各話の描写の意図・改変の意味を語って来た上でコメント欄の視聴者からの質問に対して
こう宣言しないと、このブログ上に展開されているいくつかの論点の矛盾が埋まらなくなると、私も覚悟しました。
と理由をちゃんと書いてます。切れたとか発狂とか煽ってる奴はとりあえずちゃんと読みなさい。どうしてこういう改変を行ったのかという問いに対する答えを個々に答えていく前に監督の原作に対する姿勢みたいな物を示さないとキリが無いからわざわざ「嫌い」と書いたんでしょう。
■監督はニコニコ動画までチェックしてるのか?と言ってる人も間違い。
>Unknown?(ニコニコ動画)
>まあ監督がこの原作大嫌いなの良くわかる。
>だから原作思いっきり無視でやればいいと思う。

この部分は<「ぼくらの」8話によせて>のコメント欄から抜粋した物です。ニコニコ動画というのは単なるハンドル名、Unknown?はコメントのタイトルを付けないと自動的に付く物です。これは少しコメント欄を見れば分かる事。
■嫌いな原作だからまともに仕事をするつもりが無いとか言ってる人は<「ぼくらの」第1話によせて>を読んで欲しい。
「君たちゲームやらない?」このココペリの一言で「ぼくらの」ははじまるんですけど、実は森田はゲームが嫌いです(笑)
ただ、嫌いなモチーフに果敢に挑んでしまうという僕の悪い癖は、別に今に始まったことではありませんからね。たとえば僕は猫も嫌いだし。好き嫌いはあくまで趣味の問題ですから、たいしたことではありません。「猫は愛想がないから嫌い」を「クールで勝手で可愛くないところが面白い」に解釈し直して「猫の恩返し」はスタートしました。つまりマイナス要素を逆手にとるというか、乗っからせといてひっくり返すというか、そんな感じです。

と書いています。猫が嫌いだからと言って「猫の恩返し」でいい加減な仕事をしたわけではない。
■原作からの改変に関しても
この「ぼくらの」が、ある一定のファンの人たちに支持されていることを尊重し、かつ原作を支持しない人たちをも納得させるために、私が出した結論は「ジアースに乗ったパイロットは死ぬ」という戦いのルールは変えない。それを変えてはこの原作をアニメーション化する意味はない。かわりに、まわりの大人たちや、主人公の子供たちを取り巻く社会の描き方を変えるということです。私が鬼頭さんに頼んだのは、いわゆるセカイ系と呼ばれる作品群は、少年少女と世界状況を直接結びつけ、あいだに介在する社会を描かない。ぼくらのでは社会を描かせてくれ、と頼んだのです。「ぼくらの」8話によせて
と、ルールを定め原作者に断りを入れてからやっていますので適当に改変しているわけではない事が伺える。ここでは原作から大幅な内容変更になった8話に関しても細かく改変の意図を語っています。監督の解釈の仕方が間違っているかどうかは置いといても、監督なりに原作を解体し再構成しているのは分かると思います。
■それにしても
私が、原作で嫌いなところのひとつは、子供たちの死に行く運命を作者が肯定してしまっているかのように感じられる点です。だから、私が鬼頭さんに頼んだ一言がすべてを言い表しています。「子供たちを・・・・助けていいですか?」これに対する、鬼頭さんの返答は「魔法を使わないならいいですよ」です。
の部分を読むと 鬼頭先生のなんという太っ腹ぷりよ。自分が原作者だったら代案を見せてくれるまでとてもじゃないがこんな許可は出せないと思います。

■逆に監督の悪い所は
ちょっと前の中学の同窓会で、男の友人たちが、海外で女を買った話をしきりにするのです。また、私自身はやらないのですが、風俗で遊ぶ話はその気になれば、私のまわりでいくらでも見つかるし。そこで出した結論は、この原作の半井美子にリアリティなし、です。「ぼくらの」10話によせて
というようにあっさりと天秤を「リアリティ」の方向へ傾けてしまう部分です。僕は原作読んでいないので詳しくは知りませんがナカマの母親・美子が啖呵を切るようなシーンが有ってそこが格好良いらしいのです。この場合リアリティと読者が感じたカタルシスを天秤にかけてじっくり考える必要が有ったと思う。これはチズ編を改変した理由が「チズは恋をしていない」とした時も同様です。理屈に合ってない事でも客はカタルシスを感じる場合は有る。ならば単純にリアリティを出すだけではなく、潰した分の代わりのカタルシスを盛り込む努力も必要だと思う。
あと、10話に関してはたしかに薄味だった思う。9話のダイチ編が1話だけで濃密な内容が描けていただけに10話の終わり方はあっさり過ぎる印象。全26話ならもう1話使って描けたんだろうが24話では微妙に尺が足りないんだろうな。

■「ぼくらの」の何が面白いかと言うと「何重かに張り巡らされた悲劇性」だと思う。その悲劇性を見る者に掘り起こさせる作りというのが面白い。中学生やら小学生の子供が次々に死ぬという設定からして「悲劇」なんだけどそこで思考が停止すると面白くならない。
例えば一番最初に死んだワクはゲームをする前に「俺は隠されたヒーローになる」と言っています。彼はサッカーの大会で優勝してヒーローになった。だが彼の父親は応援に来てくれなかった。だからそこでワクはサッカーを止めてしまう。ゲームを実際にやるのかどうかの議論の時にやることを勧めたワクは「目立ちたいわけではない」とモジに語る。目立っても父親は振り向いてくれない事を悟ったワクは、ならば自分の中で父親に対して誇れる自分を創ろうとした。その代償が「死」である事も知らずにヒーローになろうとする悲劇性。葬式で父親が「もう少し自分がかまってやっていれば・・・」と言ってしまう悲劇性。二人の意思が疎通していれば起きなかったかもしれない事が本の些細な掛け違いによって最悪の結果で終わる。
二人目のコダマも父親を自らの手で殺す事態にさえならなければ失意と絶望の中で死んでいく事は無かったはず。死ぬと言うだけでも悲劇なのにその死は最悪の状況でやってくる。
中学生の身で兄弟3人を養っている苦労人のダイチが何故死ななければいけないのか?よりにもよって、最後の思い出にと約束した遊園地に遊びにいく前夜に死ななければいけないのか?どうしても我々は考えてしまう。いちいち欝な内容を掘り起こして考察して読み取る。暗い内容をわざわざ掘らせる作品ってのはあんまり無いと思う。

■積極的に「悲劇性」を取り込んだ作品としては最近だと、他人の依頼を受けて恨みを晴らすという作品がいくつかあるが個人的にはあまり評価できない。どうしてかと言うと「悪意」が見え過ぎるから。何の罪も無い依頼者が恨みを晴らしてもらった後も不幸に見舞われるという展開がしばしば有るが、あれは毒を持った作品を作ろうするあまりに悪意を持って作っている事が透けて見え過ぎて白けるのだ。
それに比べると「ぼくらの」は淡々としている。ココペリやコエムシといった悪意は隅の方に配置され悲劇はあくまでも15人の周囲の問題に見える。極端に言えば彼らの死は世の中にごく普通にある死の延長線上に過ぎないような感覚がある。だから僕はキャラが死んでも驚かない、痛いとも思わない(でも9話はちょっと泣けました)かといって軽いとも思わない。ふわふわとした妙な感触のまま見ていくのが個人的には正解かなと思っている。これは「なるたる」の時から変わっていない(なるたるは原作全巻持っています)。鬼頭作品に強烈に惹かれる人の中には残虐性・悲劇性に惹かれる人が多いと思うけど僕は額面通りにはそれを何故か受け取れないんだよなぁ。

今回の件で肯定的な意見:「ぼくらの」の何に期待しているかを実況民として書いてみる<EBINAVI>

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コメント

アニメ放送前からこの人のブログで書き込みしてた者です。
森田監督がこうゆう事しちゃったのって、
いつまで経ってもコメント欄で「原作嫌いなんですね?」
っていう匿名コメントとかがあったからだと思ってます。
僕もしつこいなぁ~と思ってたんですが、
まさかこうゆう事になるとは…。

森田監督の面白い所、個人的に、
記事の内容よりコメントの返信の方が、
ぶっちゃけた発言が多い所だと思ってます。

だから毎週楽しみにしてるんですけど、閉鎖しちゃうのかな…。

投稿: マリオ | 2007/06/16 14:55

とりあえずプロデューサーとか上の人からストップが掛からない限り監督本人の意思としては閉鎖は無いと思いますよ。有ってもコメント欄閉じるくらいかな。
個人的には貴重な場だと思うので作品の賛否に関わらず最後まで(ブログを含め)やって欲しいです。

投稿: 西岡勇志 | 2007/06/16 16:00

色々問題になっているみたいですけど、そのコメントに関してしらないので、なんとも言えないですが、原作もアニメも興味深く見ています。

ただアニメは原作の雰囲気をできるかぎりリスペクトして描かれていると思います。
なにせ原作の内容をそのままアニメ化すると、問題がありすぎるので、うまく作ったと思います。

原作を読んだあとでアニメを見たので、原作の世界観でみている部分があるので、アニメだけしか見ない人は物語の深さ、背景を読み取るのができないかもしれないですが…。

半井美子の話に関しては良し悪しの話ではなくて、、なんというか、風俗の問題でないですよ、ビジネスとしてその才能を割り切ってしている人もいますし、すべてがそういう訳じゃないので、そうじゃなくてどちらかというと残虐性や悲劇性、というか異常性を描くには必要なので、、そういう事だとおもいます。
 人間の醜さというか情欲がむき出しの部分が現れやすい世界ですから…
鬼頭作品の残虐性や悲劇性は現実における(人間の)醜さを浮きただせ、その逆の人間性を強くしている意味でとても深くしていると思います。

…あと一部の人にはリアリティなしかもしれないですが、私にはリアルです…そこの世界に踏み張ってしまった人をしっているからです。

個人的には鬼頭作品を読んだら悲しくなり、泣きたくなります、最後がハッピーエンドであってさえもなにか心に悲しさが残ります。
それにしてもフィクション作品よりもある意味現実感を感じてしまいます、なにかギリシャ悲劇を彷彿してしまいます。
アニメしか見てない人で気持ち悪さに抵抗がある方は一度原作を読むといいかと思います。
好き嫌いはともかく原作は傑出していると思います。

投稿: commnenter_m | 2008/07/18 15:00

はじめまして。

今頃になって何ですが、最近、初めて『ぼくらの』を、アニメ、原作マンガの順番で鑑賞し、論文を書きました。
こちらの日記も参考にさせていただきました。
ブログ主さまの良識ある評価には、とても共感しましたので、ぜひ私の論文を読んでいただきたいと思い、ご報告に上がりました。

はっきり申しまして、私は、苛烈過剰な人間なので、ブログ主さまが書かれるようなものとは、その趣が180度違いますが、それなりに楽しんでいただけるのではないかと思っております。

私の論文は、端的に「原作批判」です。
それを徹底的に行なっており、ここまでやったものは、あまり前例がないのではないかと思います。

すでに多くの方が論じている作品をいまさら論じたわけですが、決して『ぼくらの』論の歴史に蛇足を付すものにはなっていないと自負しておりますので、ご笑読いただければ幸いと存じます。

なお、この論文は、mixiの原作コミュとアニメ版コミュにも紹介しております。
あまり反響はないと思いますが。


・ 二つの『ぼくらの』 ーー原作マンガ版とアニメ版の相克
 (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2150)

投稿: アレクセイ | 2011/06/01 22:59

上にご紹介した論文のURLを()で括ったために、リンクがうまく張れなかったようです。
自分で削除して訂正できないようなので、あらためてリンクを張らせていただきます。

・ 二つの『ぼくらの』 ーー原作マンガ版とアニメ版の相克
http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2150

投稿: アレクセイ | 2011/06/01 23:05

上記のアレクセイさんの「二つの『ぼくらの』 ーー原作マンガ版とアニメ版の相克」は…ネトウヨだの戦争肯定だのと、左翼かぶれの論文に辟易しました…

投稿: あぁ | 2011/06/25 23:40

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受信: 2007/07/31 11:20

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