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アニメ批判は人を幸せにするか

ようやく少し時間が出来たのでみんなが忘れてそうな頃に書いてみる。

「嫌い」と自分のサイトで書くのはその人の勝手だろう。他人に迷惑をかけない内は自分の庭で何をしようと一応自由である。ただ「駄作」と書くには慎重になって欲しい。「嫌い」は個人の感想だけど「駄作」と書くと個人の感想を一般化させようとする動きに見える。反対に「傑作」と言う言葉も個人的には使わないようにしている。これも個人の判断が権威を纏っているように見える。個人の感想よりも一段突き詰めた評価付けとして「駄作」「傑作」は批評の場において使いやすいのは分かるんだけどそこまで貶す・褒めるならそれなりの気配りは欲しい。

■時期を考えて欲しい
現在放送中のアニメに対して「駄作」と呼ぶ事はどんな効果があるのか?今から見ようとする人、まだ見た事無い人の多くは「駄作らしいから見るのを止めよう」と思う可能性が高くなる。少なくともそれを跳ね除けて「むしろ見る気になった」という人よりは中止する人の方が多いだろう。ならば放送中の作品に対して「駄作」の判子を押すのは待って欲しい。もしかしたらその後良くなるかもしれないし。「好きだから批判する」というならなおさら。1クールアニメなら終わるのを待っても遅くないのでは?それともすぐに視聴を止めさせないと業界に悪影響を及ぼすような作品と認識されているのだろうか。反対に必要以上に褒めちぎっている感想・批評を読んだとしてもよほど権威が有る人の言でもない限り、実際にその作品が自分に合わなかったらすぐに切るだろう。そんなに悪影響があるとは思えない。

■批判されて見れなくなった人が居る
好きだったけどネットで叩かれているを目にして見続けることが出来なくなったという人達が居る。作品が嫌いになったわけではないがそれを取り巻く空気が悪くなるのを無視できない人も居る。悪意を持ってその作品を貶める気まんまんの人の文ならまだスルーしやすい(気がする)んだがなまじ真面目に書いてる批判は目に付いてしまう。貶める気が無いなら批判するにしても分かりやすく細かく、納得できるように書いてくれるとありがたい。それならば「まぁこの人の言いたい事も分からんでもない」と割り切れるだろうから。気を遣うつもりが無いなら悪人の仮面を被った方が分かりやすいかも。

■批判ってどれくらい役に立つの?
自分のサイトで「嫌い」と書くだけならともかくわざわざ「好き」と表明しているサイトにトラックバックを送ってまでその批判を広める行為の意味って?「こんな出来の悪い作品をありがたがっているから業界が先細りになるのだ!即刻視聴を中止せよ!」みたいな状況なら批判を広める意味は有ると思う。でもそこまででも無いなら、「好きな」人の存在を認めるなら自分のサイトだけでやっておけばいいんじゃないの?あるいは否定派だけで繋がっておくか。TBを拒否するのは読者の利便性を下げるという方も居るが最近ならニュースサイトが捕捉してくれるし「はてブ」見ればだいたい事足りるような気もする。そもそもウチの様な辺境のサイトへはニュースサイトか検索でしか本来たどり着けないだろうし。
あとは自分の嫌いな作品を作ったスタッフは滅びて欲しいんだろうか?というのもある。自分にとってブログに書くのは穴に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ行為だと思ってる。ひどい作品を支持しているファンを改心させたりスタッフにダメージを与えたいと言うよりは何か言いたくてしょうがないだけ。だからわざわざ自分のブログを広めようとはしない。そりゃまぁ、自分に共感する人を増やす為にはとりあえず訪問者を増やすのが手っ取り早いとは思うけど。アニメーターあるいはアニメ業界(漫画業界とかゲーム業界とかでもいい)を大事にしたいならやっぱ褒めた方が効果有るんじゃないかな。せめて飴と鞭使い分けるぐらいしたい。貶されてやる気になる人は日本人には少ないと思う。このあたりは「果たして『ノエイン』のスタッフは胸を張れたのか?」をググって読んでください。リンクめんどry
あとは娯楽の場において作品の評価付けや批評はそんなに大事か?というのもある。法律の世界とかなら感情を出来るだけ排してやらなきゃいけないことも有るだろうけど娯楽の世界で感情を無視して批評優先になったり大した事を無い作品を愛でる事を否定されるかのような動きはどれほどの意味が有るのか僕にはよく分からない。二流三流の作品好きでもいいじゃない。こちらに踏み込んでこなければこっちからもちょっかいは出さないんだし。そっちはそっちで宜しくやってくれればお互い平和なのに。

■自分の快楽優先です
個人的にはブログは自分の快楽の為にやってます。読者の為にやってるって感覚は殆ど無い。自分の好きな作品を語りたい、自分の好きな作品を他人にも好きになってもらえたら自分も嬉しい、アクセス数が増えたら嬉しい、自分の文に共感してもらえれば嬉しい。腹が立った事について書いてストレス発散したい等。自分の楽しい・嬉しいを目的に書いてます。いくら楽しい事が残っていても嫌な事が耐えられないほど積み重なったら止めますよ。別に原稿料貰ってるわけでも無いし。だから僕の気分を蔑ろにして読者に奉仕するような事はここでは殆どしません。そのかわりなるべく他人に迷惑かけないようにしてるつもりです。そういう意味ではまなびの件で吉田さんとか普通のまなびファンに迷惑かけてしまったのは大きな失敗でした。僕=痛い人じゃなくて、まなびファン=痛い人達になってしまったからなぁ。ufoにしてもネガティブなイメージを持たれたら迷惑だろうしなぁ、ゴメン。

ブーメラン的な事を考えるなら批判に対して擁護TBを送るのも冷や水なのかもしれないと思ったり思わなかったり。まぁ僕がどうこう言ってもこれからもネットには無数の批判や褒めが存在するんだろう。適度を守って楽しくね。

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コメント

こんにちはTB失礼します
いつも?拝見させてもらってます

自分も気になってるアニメが取り上げられている記事については良く見せてもらってます

今まで記事を見てただけでTBとかも特に送ったりしたりしませんでしたがこの記事を期にTB失礼します

この記事は素晴らしいですね、この文章風に言うとどこがどのように素晴らしいのか言わなければいけないのでしょうがw

批判する時期とか、良く考えれば本放送や、その後にも影響しますよね
自分も嫌な感じにアニメを言ったり、批判はしないように考えてやってますが、この期に自分のblogをちょっと見直してみようと思いました(アニメ批判たまにするんで

管理人さんのこの考察?といつも拝見させてもらってますの感謝の意を込めてありがとうございますw

管理人さんの愛を感じましたw

最後に長い文失礼しました

投稿: まこと | 2007/04/06 07:05

>まことさん
どうもです。そんな大した話じゃないですけどね。
トラックバックは届いて無いです。たぶん禁止ワード(ようつべの英語表記は規制してます)のせいだと思います、すいません。

投稿: 西岡勇志 | 2007/04/06 12:58

娯楽にも評価は必要だよ、そこに哲学が介在する限りは。特にアニメの作り手は意識して設定だとか背景だとかに紛れ込ませることがあるので、そういった点は正確に読み取ってやらなければならない。じゃないと浅いままの理解で留まって、本当に意図した部分が見えなくなるからね。だからアンチが湧くのは、逆説的に正解。必ずしもそのおかげで売り上げがどうのこうのしたりする事は無い。
例えばハルヒ騒動の際。「ハルヒ」の中に込められた哲学が見えず、単なるキャラと作画を持ち上げただけのアニメと化していた時に、僕に「違うよ、ハルヒという異端が起こした騒動にキャンがきちんと同化しているというのは注目に値することだ」と言い出した人間が居た。もしも言われなければそれだけの存在だったものが、指摘によって位置づけが出来た。人間というのは不思議なもので、理不尽なものには怒るのだが、一度どんな形であれ、意味づけ・位置づけが出来てしまうと駄作であっても怒らない。端的だったのはガンダムSEED-DESTINYだった。竹田青磁という超越的キャラクタのおかげで、内容的に十全ではなかったはずのあの作品に、今ではそれなりの評を与えられる。批判は起こってしかるべきであるし、むしろ批判も起こらず忘れられていく作品の方がずっと作り手にとっては恐ろしい、と思うのだ。
僕が同人でも良いから何かお話を作ろうと思い立った時のことなのだが、一番心配したのは「ひょっとして誰の目にも留まらないんじゃないか」という現実的な不安だった。例えば僕の作品の思想が独善的で独走的で、どうにもならないほどナルシスティックだったとして、それでも批難轟々なら「読んでくれたんだ」と思うが、反応が無い時ほど作り手にとって悲しいことは無い。作品の理解のためにも批判は起こるものだと書いたが、批判が起こらないよりずっとマシという半ば消極的な理由でも批判はあった方が良い。

投稿: @t | 2007/04/10 01:35

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