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パクリ話の続き

前記事:パクリとは何か、パロディーとは何か

前の記事で終わりにしようと思ったんだけど補足の補足。僕の意図とは180度正反対の受け取り方をする人も居るみたいで言葉って難しいなぁ・・・。当然の事ながら僕は神様でも仙人でも学者様でもない。僕が書いたのは世界にある事実の切れ端であり「真実」ではないですよ?一応気を使って「少なくとも」「大抵は」「~事があります」「最終的な判断は個人でして下さい」と僕の意見が絶対ではない事を示したつもりだったんですが(´・ω・`)
断定っぽく書いてある部分も有りますがいちいち回避してると文章が長くなりすぎるのでね。なぜ「これが真実だったんだー!」と明言しないかといいますと、まず僕の書いたパクリの定義と言う奴は僕の想像の範囲で作ったパクリ型です。凸な形だとしましょう。これにぴったり合う物はパクリの疑いがある。A君は僕の作ったパクリ型凸を○○という作品に当てはめてみたらぴったりだった。A君は興奮気味にB君に「○○は凸の形にぴったりだからパクリだったんだ!」と話します。するとB君は「はぁ?お前何言ってんの?○○の形は凹だろ?全然形ちがうじゃねーか!」なんと!B君には○○の形はまったく別の形に見えていたのでした。
僕は時々「深読み」という行為をします。作者がそこまで考えて作ってないとは思うんだけど結果的に深い読み方、表層的な読み方とは別の読み方が可能になっているのであえて好意的な、面白い読み方をしようというものです。深読みをするとその作品が持ってる客観的な大きさよりも膨れ上がります。本来の作品の形に自分の解釈を付け加えて形を変えます。だから人によって作品の形は違って見える場合が有ります。ならば僕と言う一個人が作ったパクリ型凸は使う人によってはまったく機能しません。だから「最終的な判断は個人でして下さい」と書いたのです。今まで凸だったと思っていたのを削って凹にする事も出来ますし、逆に凹に盛り付けて凸にする事も出来ます。僕の作った型は一つのテンプレでしかありません。世の中にはもっとすばらしい出来の型が有るかも知れません。

そもそも最初の「まなびストレートのパクリ云々に反論しておく」は情報リテラシー大丈夫ですか?という話でもあったのに何でこうなるかなー。議論めいた事に手を出すとろくな事が無いですね。みなさんもっと楽しい話をしましょう(笑)

コメント欄で
名作である『装甲騎兵ボトムズ』は、主に舞台設定で、既存の映画をかなりそのまま引用しています。当時から、もちろんある程度の歳の視聴者はそれを理解していますし、製作者側も特に隠す意図はありませんでしたが、多くの割合を占めるティーンエイジャーぐらいはわからないのが大多数です。この場合、定義上はどうなるのでしょうか。
との質問を頂きました。僕はボトムズは人生の内で30分ぐらいしか見た事無いのであまり内容に即したことは言えませんが、そのころのアニメ業界と言うのはまだ創成期だと思います。ってことはまだテンプレが足りないんですよ。一応のところ作品には個性が無いといけないから色々なテンプレが欲しい所ですが他の業界も含めテンプレの数が少ない。そうするとテンプレの豊富な現在から見ると「あれはちょっとパクリに近かったかなぁ」というような使い方も有ったと思うんですよ。でもそれは仕方ないんじゃないかと僕は思ってます。イマジネーションを掻き立てる材料が今より少なかったのでしょう。それに創成期ともなれば作家も皆中二病です。仕事だろうが何だろうが今自分のハマっている作品を語りたくてしょうがない時期だったんですよ、たぶん。良く言えば少年の心を忘れない人たちだったのでしょう。ちなみに個人的に創成期は深夜アニメが増えてくるエヴァ後まで続いてると思っています。

次に
某著作権管理団体等
という話ですが僕はそれほど大きな影響は与えてない気がします。それよりもやはりネットでの情報拡散速度が上がったのが一番大きいと思います。何か揉め事が有った場合でもそれは関係者の間だけでひっそり話される物でしたが今は誰かがネットに上げてしまいます。そして今はニュースサイトが流行ってますからそこで拾われるとあたかもそれが真実のように取り扱われます。昔皆がテレビや新聞・書籍を盲目的に信じていたのと同じです。「プロなんだから」「実名を晒しているのだから」嘘を書くはずが無い・間違えるはずが無い。そういった考えが今は「金を貰える訳でもないのに頑張って調べているこのサイトは誠実で信頼できるに違いない」という意識に世代交代しただけでメディアリテラシーを磨こうとしていない人が多いのが大きな原因ではないでしょうか。あとは人を叩く事で良い気分になる人がそれに乗っかったりしてそうなのも・・・。接客業とかしてると時々「それ以外の反応の仕方を知らない」人間に出会います。後ろめたいからコソコソやるくせに見つかると「自分は悪くない」と逆ギレします。なんか似てるんですよね「叩く事しか知らない」人たちに。ある意味悪気は無いのかもしれないけど疲れます。

次。
騙して読者を操作しようという意図を感じると反発を覚えるものかと思いますが、その辺りが大きな分かれ目かと。(少しでも騙されそうになった自分がいると反発につながる。)それ以外でも何かしらの反発を感じさせるものが無ければ問題には発展しにくい気がします。
商売として、プロ作家としてやってる時点でパクリ定義の「金銭や名声目的」に当てはまるんじゃないかと思われる人も居ると思いますが(そう書いた自分が言うのも何ですが)それはちょっと待ってください。何かパクったら本当に儲かるのでしようか?例えば推理小説ですごいトリックをパクって「このトリックはすごい!」と評判になれば本がたくさん売れて作者は目に見えて儲かるでしょう。でもアニメと言うのは30分×約50話で構成されて(昔は)います。そこに1カットだけある人気キャラのパクリキャラが映ったとして全体の売上にどれくらい影響を及ぼすでしょうか?あるいはその製作スタジオは1カットを埋めるアイデアが無かったのでしょうか?そんなものは「スタッフのお遊び」として処理できませんか?話が矛盾しますが、パクリとして作られたものでも大きな影響が無いなら騒がなくてもいいんじゃないでしょうか。「涼宮ハヒルの憂鬱」が訴えられたらそれが法的に正しくても「角川ケツの穴小せーなぁー」と思うわけです、矛盾してますが。アレはかなりの確立でパクリ認定でいいだろう?と思っても、でもああいう馬鹿っぽい物を見れる世界は平和だなとも思うわけです、矛盾してますが。自分の心がザラついてきたら「全肯定」という言葉を10回ぐらい唱えてみてください。大抵のものは許せる気分になりますから。

3/5追記:下のコメント欄の1026さんへの回答
すいません、ある程度は理解しているつもりですが必ずしもそれに合った答えは提示できないので・・・。あと実は上の回答は別の人用の答えを組み込んであるので。受け手側の問題に関しては孫悟空の話で多少示唆したつもりだったんですがちょっと甘かったですか。
クレジットを融合させる手法の作品について①「今まで有った事を知らない人」②「かみちゅ!で有った事だけを知っている人」③「舛成作品で複数有った事だけを知っている人」④「舛成作品以前にも有った事を知っている人」⑤「舛成作品以前以後にも有った事を知っている人」れぞれの反応が違うのは当たり前なんですね。少なくとも5種類の受け手が居るわけですから受け手の感情でパクリの線引きをするのも難しいし、線引きを置いといても5者の意識をフラットにするのは難しいと考えています。「過去にも有った事だよ」と言われても①②の人は「でも過去を知らない人はこれからも出てくるのだから問題ではないのか?」という言い方が出来てしまいます。結局の所それぞれの主張が対立して収拾がつかないので問うても仕方ないと思っています。
だから「裏切られた」「だまされた」「隠してやがった」と反発する前に色んな視点が有って、もしかすると自分の視点は製作者の意識から外れた場所に存在するのかもしれないと言う事を考えて欲しいと言うのが僕の意見です。⑤の人がまなびを糾弾する場合は自分の足元がしっかり固められ考えた上での行動だと思われますが①②ぐらいの人がやってると足元が、周りが見えてない行為に受け止められます。反発の元は作品が作ったように見えますが自分自身の思い込みや浅慮から発生する場合も有るので最終的には防ぎようが無いんですねぇ。僕なんかはそのあたりはゆるいので僕のメンタルをカリカリしてる人にコピーできればなぁ。なんか、言葉を弄すればするほど1026さんの欲しい答えから離れていく気がするんですけどこれで大丈夫でしょうか。線引きの難しさについては次の記事で詳しく書いてる(つもり)なのでそちらを。

関連記事?:「製作」会社は動画共有を怒らない<桀紂屋>

もう少し書きたいこともあったけどとりあえず今回はここまで。続きは 間違いと正しさは比べられない

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コメント

コメントへのレスありがとうございます。
言葉って難しいなぁって言葉に全く同意します。こちらの考えが全く伝わってないです(苦笑)
僕が問題にしたのは、作品の他の作品と類似したパーツを「パロディ」とか「パクリ」とか分類する事に不毛さを感じたので、受け手の感情を問題にした方が有効ではないか?と考えてのコメントでした。
誤解を減らすためにちょっと長文にさせていただきます。

現在作られているアニメやマンガは過去の何らかの作品の影響下にある事に異論はありません。(ここでは著作権が切れているかどうかの問題は置いておきます。)
過去の作品に類似点がある事自体は皆暗黙の了解がある事で、似たパーツを探しだして大騒ぎする事自体は無粋な事だと思います。
で、パクリとして「問題になるか」は、受け手がその類似しているポイントに反発を覚えるか否かだと思うのですが、それが主に「騙して操作しようという意図を感じるかどうか(自分の創作と思わせる)」では無いかと思うのです。(この辺までが前のコメント)
加えていいますと、そのポイントがその過去の作品に影響を受け手できた作品の核・重要な部分であった場合なのではないでしょうか?
例をあげられた推理小説のトリックなどはいい例でしょう。これは受け手にとってトリック・謎解きが核なわけです。でも、同じトリックを使っていてもあまり非難されない場合があります。それは、その作品が推理小説仕立てのコメディで、その作品の核がコメディとしての面白さなどで、それが凄く成功していた場合です。

この「まなび」の場合、検証されている事も参照させていただきますが、テロップ表示の手法自体は過去にあったものです。
ですがネットの「まなび」視聴者にとって、いまいちマイナーであったため、「すごく斬新な手法」と誤解され、なまじ良くできている事も相乗効果でこのOPの核が「斬新なテロップ表示の手法」とカンチガイされてしまって、妙な問題になったのかもしれません。
(それでもあんな風にパースを効かせて書きまくるテロップは過去をふまえて一歩進んだものだと思いますが。エヴァっぽい演出もそのままじゃないし。)

投稿: 1026 | 2007/03/05 16:25

コメントすみません。
今度は凄く通じてます。大丈夫です。
考えている事、問題にしている事も次の記事も含めて近いと思います。
近いので逆に余計なコメントだったか?とも思いました。
「まなび」の受け手の分類も見事です。
ある程度状況把握が出来ていれば著作権自体グレーゾーンの多いものですので、個々に着地点を見つけるしか無いものだと思います。ですから細かく突き詰めるまでも無いでしょうね。

蛇足
今回記事を読ませていただいていて気づいたのは、著作権と「パクリ問題」は別問題なのでは?という事でした。
著作権は著作者がどう考えるかなど、あくまで著作者を問題にしている事で、受け手には無関係。
だけど「パクリ問題」は受け手の著作者へのリスペクトが裏切られた事などが問題なのに、本来自分には無関係な著作権を掲げて問題にしている場合が往々にしてあるように思います。

投稿: 1026 | 2007/03/07 11:48

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