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まなびストレートの細かい演出の受け取り方

どうも「まなびストレート」を楽しめない人には細かい演出が見えてないような気がする。この作品を駄作としてしている人の感想文を見ると「脚本が駄目」と言うような事は書いてあるのだが「どこが」「どう駄目で」「どうすれば良くなる」という事が書いてない。役に立つ意見なんか書く気がサラサラ無いのかかもしれないがせっかく批判文書くならそこまで書けばいいのにと思う。
で、そういう人たちに限って細かい演出についても触れられていない。パクリ話の時もそうだったけど細かい演出を受け取るか否かで作品の見え方は相当変わってくる思う。と言うわけでまなびストレートの細かい演出について語りたいと思います。ちなみここで言う「演出」とは広義の意味での演出です。偉そうなタイトルですが要は観察と思考と妄想を最大限に働かせて作品をもっと楽しもうと言う事で。

脚本を助ける演出
僕は芽生の性格について、大して接触もないのに2話でもうデレの片鱗を見せている事に違和感を持っていたんだけど1話を見直すと理由が分かりました。生徒総会の朝、芽生が登校するシーンで
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他の生徒に話しかけられ足を止めます。このシーンは一見歩いているのは会話をしているモブの生徒のように思えますがこれは芽生だと思います。ここで芽生は結局のところ何も喋らず挨拶も返さず立ち去りますが、無視するなら何故立ち止まったのか? よく見ると
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目が細かく揺れ動き口も何かつぶやこうとしています。芽生の心は明らかに揺れ動いています。本当は挨拶を返したかったのです。でも過去の体験から「そんな物はくだらない事」と切り捨てておかないとまた辛い目に遭うかもしれないと思ったのでしょう。でも期待はしてるし心の底では仲良くしたい。ここが芽生が「クール」でも「ドライ」でも無く「ツンデレ」キャラの理由です。芽生は、自分の張る強力な心の壁を平気でぶち抜いてくる、或いは通り抜けて来る人物を最初から期待していたのです。デレ要素は最初から眠っていただけで存在している。このシーンに気付くと脚本に穴が有った様に見えたのが埋まりました。ついでに書くと、次の芽生とむつきのやりとりで最終的に芽生が照れながら「おはよう」と言うのは自分の心の願望をむつきに見透かされたかのように思えたから照れたと解釈する事も出来ます。

理にかなった流れを作る演出
まなびが校歌を歌うシーン、これを指して「歌で感動させてまとめるなんてありきたり」というような意見が有りますが本当にそうでしょうか?歌と言えば「マクロス」ですが歌を聞く相手が特殊な相手なのでここでは比べられないと思います。他には具体的には思い出せませんが動物やモンスター、狂戦士となってしまったかつての仲間が歌や音楽で冷静さや人の心を取り戻すといったような展開はありがちな感じがします。でもこれもまなびのそれとは違うような気がします。皆はまなびの歌が上手かったから心を動かされたのでしょうか?それなら
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桜の風景は必要ないのではないか。また、誰一人として「上手い」とか「すごい」とは言ってない。むつきが言ったのは「うちらの校歌って結構いい歌だよな」という事だけです。単純にまなびの歌が上手かっただけではないと思います。生徒達が感心したのは「転校初日にこれだけ完璧に校歌を覚えてきた情熱」と「まなびが持っている聖桜学園に対するイメージ」に共感を覚えたからではないでしょうか。そしてそれは同時に聖桜学園校歌への再評価でもあります。なんだかんだ言っても新しい場所への期待というのは持つ物です。しかし実際に学生生活を送る内に最初の純粋な気持ちはどこかへ行き漫然とした日々を送る事になる。そんな時に「学校生活は退屈な物」という固定観念に侵されていないある意味客観的に見える意見を持った人物・まなびが見せる学園に対する期待・イメージは過去の自分達の姿を思い出させる。ありきたりでもなければやっつけな表現でもない、理にかなった演出だと僕は思います。

目は口ほどにものを言う演出
2話で不用品バザーをやっているのを職員室で教師達が問題視しています。
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しかしすぐに下嶋先生が
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後ろの机にあった書類や花瓶を倒してしまい教師達の注意はそちらに逸れる。でもよく見返すと
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教師達の左端すぐ後ろにしもじーは居たはずです。それがいきなり数メートル離れた机に移動してる。これは明らかにまなび達をかばう為にわざと起こした騒ぎです。それに気付いたのが園長先生。
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何かに気付いたような表情をした後、納得したのか微笑みます。ここで園長先生に心の台詞や呟きとして「下嶋先生もしかしてあの子達を庇ったのかしら」と言わせればこのシーンの意図は分かりやすくなります。でも何でもかんでも言葉にして表してしまうのは動画として野暮ったい表現です。ここはあえて少し分かりにくく、そして気付けたなら園長先生と同じ視点に立てたという事になるよう仕掛けを作ります。間接的に表現することで表現の幅が広がり、わびさびが生まれるのです。

見る人の想像力に任せる演出
先ほど直接的でない表現は幅を生むと言いましたがこれもそれに近い演出です。リフォーム用の道具と材料を買いに行ったホームセンター、挿入歌に乗せて台詞無しのシーンが1分30秒ほど流れます。キャラ同士が会話してるカットが有るのに何故実際に声を入れないのか?
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理由のひとつは「その方が膨らませれる」からです。実際に声を入れてしまうと台詞のやり取りに時間が掛かるのでそれだけの動画を用意しなければいけません。でも視聴者が会話の内容を妄想する時には時間制限は有りません。動画として存在しない「事前事後」まで勝手に想像する事が出来ます。色んな事が起こっているのを見せたい場合このようにあえて全てを描かずに想像に任せるのも一つの手なのです。また、みかんの背が届かない所に芽生があっさり届いてしまってみかんが落ち込むシーンのように起承転結をパッパと見せたいコミカルなシーンなどでも台詞による時間的制約から解放されるのもこの演出の強みです。

答えをぼかす事でキャラと同じ視点にする演出
これも2話の職員室でのシーンと同じような話ですが、3話で愛洸学園を訪れたまなび達が帰る時、呼び止めた角沢さんは逆光で表情が読めません。
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沈黙の後に結局「何でもないわ」と言われ腑に落ちないまままなび達は帰路に着きます。この時何故逆光にしたのか?もちろん角沢さんの表情を読めなくするためですが誰に対してかというとまなび達よりもむしろ視聴に対して読めなくする為の演出ではないでしょうか。少なくともまなび達はその時角沢さんが何を考えていたか分かっていません。でも視聴者は大体気付いています。でもここで表情を見えなくすることでちょっと気になります。答えが分かってるはずなのに正解が教えてもらえなかったので(ここで角沢さんが残念そうな顔をしていたらほとんど正解を言っているような形になります)少しモヤモヤした気分が残ります。これはその後のまなびの気持ちと同じ位置に立つという事です。キャラと同じ感情を抱くという事はすなわち感情移入しやすくなるという事です。

このようにまなびストレートには細かい演出が所々に散りばめられています。一見意味の無いような事にもちゃんとした理由があって描かれている事も有るのです。もちろんこういう演出の仕方が無条件に良い物だとは言えません。子供向けアニメのストレートで分かりやすい表現もそれはそれでありがたいものです。ですがこういった細かい部分を発見してより楽しみを深めていく見方が出来る作品は数が少なく貴重です。せっかくだから僕はじっくりと楽しもうと思うのですが皆さんはいかがでしょうか?

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コメント

細かい演出。
まなび、素晴らしいとしか言いようがありません……。

投稿: RRR | 2007/03/14 23:55

 はじめまして。
 アニメーション作品の制作に携わる者として、一筆啓上させて頂きます。作り手サイドがつまらないものしか世に送れていないという可能性は、今回、敢えて抜きにして書きます。傲慢な物言い、予めお詫び申し上げておきます。 

 ご指摘の通り、視聴者サイドの批評リテラシーの低下は深刻だと感じます。昨今の作画偏重傾向は、多分にこの批評リテラシーの低下に拠っているのはないかと。つまり「作画は一目見れば誰にでも良し悪しがわかる」故――批評のしやすさ故の薄っぺらな現象に思えます。件のまなび~で言えば髪の毛のグラデーションのすごさを訳知り顔で指摘した人がスカートのチェック柄が動いている事のすごさを同時に指摘しない。できない。同期のひだまりスケッチとは明らかに別ベクトルを指向したタイトルであるにも関わらず同じ俎上で論じてしまう。たったひとつの切り口しか持っていらっしゃらない。

投稿: 匿名で申し訳ありません | 2007/03/15 14:00

主に萌えアニメ市場の周辺で、「作り手は視聴者を舐めている」といった批評的言説を目にします。そうした方は大抵アニメというメディアの未来を嘆き、革命的作品の出現を祈ってくださる。

投稿: 匿名で申し訳ありません(その2) | 2007/03/15 14:14

 しかし現実として、真剣な球を投げても受け止めてもらえない。舐めた球のほうが寧ろ神輿として担ぎ上げてもらえる。革命を目指すとその巧拙をすっ飛ばして即「オ●ニー」、あるいは「オサレ(=演出の試み)」「ぐだぐだ=物語の試み」」とレッテルを貼って片付けられてしまう。そんな傾向はありませんでしょうか?

 結果としてものづくりの情熱は内へ内へと籠もっていき(自分は匿名のまま具体的な作品名を挙げるのは卑怯だと思いますがお許しください)「視聴者の満足」という部分に敢えて情熱を全く注がない「エルゴプラクシー」のようなアートスタイルの作品へと結実します。あるいは情熱を完全に捨てて舐めた仕事をするか。業界は今のところ慢性的な作り手不足ですからそんな姿勢でも仕事にあぶれることはありません。真剣なのは出資者だけ、というのが現状です。


 これは我々作り手サイドにとっても視聴者サイドにとっても不幸な事ではないかと思います。

 例えばサッカーの専門誌が「サッカーの見方」を啓蒙していったように、アニメの見方というものを誰かが広めてくれるといいなと願っておりました。もちろん作り手と批評家は基本的に馴れ合えないものです。自負や自尊心が邪魔をして常に公正謙虚であれるとは思えない。批評が権威化する事の弊害もある。ただ、それでももう少しマトモな関係を結べないものかと。私たち作り手が読んで反省したり、奮起したり、あるいは誇りを抱くきっかけになるような批評のありかたもあるのではないかと。そんな中こちら様のサイトを拝見して嬉しくなりました。私はまなび~の演出担当でもなんでもありませんが、この記事は、きっと担当者様の活力になったであろうと想像します。残り数話、きっと良い作品を送ってくれるだろうと信じています。

投稿: 匿名で申し訳ありません(その3) | 2007/03/15 14:19

>西岡さん
はじめまして。まなびストレート!のレビューいつも楽しみに拝見しております。
コメント欄におけるアニメ制作に携る匿名さんの書かれているエントリーの返事も含めて興味深いエントリーでした。コメント欄の匿名さんの

>>昨今の作画偏重傾向は、多分にこの批評リテラシーの低下に拠っているのはないかと
のくだりにうなずきました。

発展性のない批判(批評に満たない)はたくさんあると思いますが、そうではない、馴れ合いでもなく築ける作り手と受け手の良好な関係というのはある、と思いますし、事実、まなび関係のレビューは作品の熱に感化されたかのように西岡さんをはじめ読み応えのあるものが多く、楽しみにしています。
こういった事象やネット間での影響などを含めて、私は「まなび」がオモシロイなあ~と思ってます。

>匿名さん
多分、私にもメールを送ってくださった方だと思いますが…。その節はメールいただいて感激しました!

>作り手が読んで反省したり、奮起したり、あるいは誇りを抱くきっかけになるような批評のありかたもある
>のではないかと。
私もそう思います。作り手が奮起してくれること=いい作品を観ることができる、ですから本当にその文化のことが好きならそのありかたは決まっていると思います。ちゃんと見てる人は見てる!し、私もそういうレビューが見たいと思ってます。そっちのほうがはるかに楽しい。なので、これからも、その高い志を折らずに素敵なものを作ってください。それが私の望みです(って最後にひぐらしに…!)。

長々とすみません!

投稿: 吉田アミ | 2007/03/15 22:12

>匿名さん
批評テラシー或いは視聴テラシーとでも言いましょうか、低下に関して僕も危惧というか残念に思っています。ただ、TB先などで「これぐらいは分かって当たり前」という厳しい意見も有りますが僕はそこまでは思ってなくて、色々な状況が重なって仕方ない部分も有ると考えています。僕は運良く?テラシーを磨きながら成長できる環境にあっただけかもしれません。今のアニメ本数は異常ですからその1本から懸命に汲み取ろうとするのはアニメ初心者には難しい・面倒くさいのかもしれません。初心者が批評する事の是非は置いといても。しかし、誰か演出の教本とか出して啓蒙しなければいけないのなぁ。京アニさんあたりにひとつお願いしたいところです。

>吉田アミさん
ああっ、いつもリンクありがとうございます。こちらも拝見させて頂いております。発展性の有る批評がしたいという事ももちろん有りますが僕はもうわざわざ「○○が大嫌い」という文を書くのも読むのも飽きてきたというのがあります。僕も人間ですからテンプレすらこなせない作品や原作から変に改変されたアニメとか見るとイライラしますが出来るだけ「こうして欲しかった」ぐらいは添えて批判したいと思っています。吉田さんのブログを読んでいるとひょっとして今までに世界に足りてなかったのは「創作者による他人の創作物への褒め言葉」なんじゃないかと思えてきました。世に溢れる批評家の殆どは創作者ではないのですから。何かを作っている人からの言葉はやはり重みが違うと言うか良い意味で色眼鏡が掛けれると思いますのでこれからもどうぞ好きな物を褒めてあげてください。

投稿: 西岡勇志 | 2007/03/16 04:53

>西岡さん
どうもありがとうございます!
コメント感激しました。ブログ以外の紙媒体でも「好きなものを好きと語る」姿勢で書き物をしたりしているので、励みになりました。私も足りてないと思っていたので敢えてやる方向で書いきたいです。

>僕はもうわざわざ「○○が大嫌い」という文を書くのも読むのも飽きてきたというのがあります。
ちょう同意です(笑)。
そこにあるのは自己の立ち位置の表明(こういうのが嫌い/好きな自分カコイイ)でしかない寝言みたいな文章は読んでいてもつまらないんですよね。どうせ読む&書くならその人なりの視点が欲しいけどそれを直接求めるのも失礼な話なので求めませんが!不満は創造の母なので文句があるなら自分がそうすればいいと思っております~。

ともあれ、まなびを通じていろんな方と意見交換ができたり、理想的な受け手のあり方というのを考えることができたのは本当に良かったと思ってます。そういう意味でも自分にこんな影響を与えたアニメもないな~と。それがまた好ましい!

あと2回!楽しんで見ていきたいです。
ではでは。

投稿: 吉田アミ | 2007/03/16 14:50

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